共食(きょうしょく)とは?神饌・直会と学校給食にみる「みんなで食べる」ことの意味

おいせ編集部

春にはたけのこの炊き込みごはん、秋にはさつまいものデザート。給食の献立に季節が出ていたことを、覚えている方は多いと思います。

近くの農家から届いた野菜、地元でとれたお米。同じ献立を、同じ時間に、同じ教室のみんなで食べる。

じつはこの「みんなで同じものを食べる」という形は、神社のお祭りが古くから大切にしてきたものと、とてもよく似ています。

この記事では、神さまにお供えする神饌(しんせん)と、それを下げてみんなでいただく直会(なおらい)をたどりながら、いちばん身近な共食である学校給食まで、話をつないでみますね。

共食(きょうしょく)とは

共食(きょうしょく)とは、家族や親族、地域の人、職場や仲間どうしが集まって、同じ飲食物をいっしょに食べることをいいます。

共飲共食(きょういんきょうしょく)とも呼ばれます。

神道ではとくに、神さまと人が同じものを食べることを「神人共食(しんじんきょうしょく)」といいます。

お供えしたものを、神さまが召し上がったあとに人がいただく。それによって神さまとのつながりが深くなり、その力を分けていただけると考えられてきました。

反対に、ひとりで食べることを「孤食(こしょく)」と呼ぶことがあります。家族がばらばらに食べる「個食」とあわせて、1990年代ごろから気にされるようになった言葉です。

つまり「誰かと食べるかどうか」は、昔から日本人がずっと気にしてきたことなのですね。

神饌(しんせん)── その土地でとれたものを、神さまに

神饌(しんせん)は、神社や神棚にお供えする食べもののことです。御饌(みけ)、御贄(みにえ)とも呼ばれます。

中心になるのはお米です。ごはん、餅、お酒。「お神酒のあがらぬ神はなし」と言われるほど、米から作るものが神饌の柱になっています。

そこに海の幸、山の幸、その季節にとれた旬のもの、その土地の名産、お祀りしている神さまにゆかりのあるものが選ばれます。

その土地の人が恵みを受けたものを、そのまま神さまへ捧げる。これが神饌の考え方です。

だから神饌には、その土地の暮らしがそのまま出ます。

たとえば稲作に向かない土地では、お米以外の穀物が供えられてきました。沖縄の伊良部島では、石灰質の土のためにお米が育ちにくく、粟などから作った「ンマダリ」と呼ばれる神酒や餅がお供えされます。

静岡県磐田市の府八幡宮や、岡山県岡山市の吉備津神社にも、粟や黍(きび)をお供えする習わしが伝わっています。

お供えの形にも種類があります。素材をそのまま供える生饌(せいせん)と、調理や加工をしてから供える熟饌(じゅくせん)です。

いまは生饌が一般的ですが、これは1871年(明治4年)に定められた祭式の次第にならったもの。それ以前は、その土地の食文化がうかがえる熟饌のほうが広く行われていました。

いまも昔ながらの形を守っている神社があり、そうした神饌は「特殊神饌」と呼ばれます。伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)の「由貴大御饌(ゆきのおおみけ)」、春日大社の「八種神饌(やくさのしんせん)」、談山神社の「百味の御食(ひゃくみのおんじき)」などが知られています。

直会(なおらい)── お供えを下げて、みんなでいただく

神饌は、供えて終わりではありません。

お祭りの最後に、参列した人みんなでお神酒をいただき、供えた神饌を食べる行事があります。これが直会(なおらい)です。

「打ち上げの宴会」だと思われがちですが、本来はお祭りそのものを構成する行事のひとつです。神社本庁が定める「神社祭式」では、どのお祭りでも必ず直会を行うとされ、その作法まで決められています。

神さまが召し上がったものを、そのあとで人がいただく。そうして神さまとの結びつきを強くし、ご加護をいただこうとする。神人共食の、いちばん分かりやすい形です。

「なおらい」という言葉の由来には、いくつかの説があります。

もっとも広く言われているのは「直り合い(なおりあい)」という説です。お祭りのために慎んでいた状態(斎戒)を解いて、いつもの暮らしに直る、という意味です。

ほかに、『日本書紀』に「嘗」を「ナメライ」と読ませる例があることから、神人共食の「嘗め合い」がもとだとする説や、民俗学者の折口信夫が唱えた、直日神(なおひのかみ)をお祀りする神事だとする説もあります。

ここで、給食の話につながる面白い事実がひとつあります。

季節の野菜や魚が神饌として供えられた神社では、それを調理して出す直会の料理が、その土地の郷土料理とそのまま同じになることがあるのです。

神さまへのお供えが、地域の味を今日まで運んできた、ということですね。

いちばん身近な共食としての、学校給食

では、学校給食はどこから始まったのでしょうか。

文部科学省は、日本の学校給食の発祥地を山形県西田川郡鶴岡町(いまの鶴岡市)の私立忠愛小学校としています。

1889年(明治22年)、お弁当を持って来られない子どものために、無料で食事を配ったのが始まりです。献立はおにぎり、塩鮭の焼き魚、菜の漬物という、とても簡素なものでした。

その後、給食の目的は少しずつ変わっていきます。1952年(昭和27年)には「食べられない子への対策」から「教育の一環」へと位置づけが移り、1954年(昭和29年)には学校給食法が定められました。

いまの給食には、季節の行事にあわせた行事食や、その地域の郷土料理が並びます。地元でとれた食材を使う「地産地消」も広く行われています。

たとえば山口県下関市ではふぐの雑炊、長野県上田市では松茸ごはんが給食に出た例があります。地域の産業や食文化を、子どもに知ってもらうための工夫です。

旬のもの。その土地でとれたもの。

神饌が選ばれてきた基準と、給食が地元の食材を選ぶ理由は、驚くほど重なっています。

もちろん、給食が直会から生まれたわけではありません。目的も歴史もまったく別のものです。

それでも、その土地の恵みを、同じ場所にいる人みんなで分けて食べるという形だけを見れば、二つはよく似た姿をしています。

「同じものを食べた」という記憶が残るわけ

給食で初めて郷土料理を知った、という人は少なくありません。家庭ではもう作られなくなった料理を、学校で食べて覚えた、という経験です。

直会が地域の味を運んできたのと、同じことが起きているわけですね。

給食にはもうひとつ、共食ならではの形があります。

当番が白衣を着て配り、みんなが揃うのを待って、いっしょに手を合わせる。食べ終わったら片づけを分担する。

食べる行為そのものより、「同じものを、同じ手順で、みんなで」という段取りのほうを、私たちはよく覚えています。直会に作法が定められているのも、たぶん同じ理由です。

段取りがあるから、ただの食事が「みんなのもの」になるのだと思います。

いっぽうで、給食のあり方は今も変わり続けています。

食物アレルギーへの対応、宗教や信条にあわせた献立、複数の献立から選べる仕組み。「全員が完全に同じものを食べる」ことは、いまは前提ではなくなりました。

これは共食が失われたということではありません。神饌が明治に熟饌から生饌へ姿を変えても直会が続いたように、形は変わっても、囲む相手がいることは残るのだと思います。

まとめ

神饌は、その土地でとれた旬のものを神さまへ捧げるお供えです。

直会は、それを下げて参列者みんなでいただく、お祭りの一部です。神さまと人が同じものを食べる「神人共食」の形が、そこにあります。

学校給食は、直会から生まれたものではありません。けれど「その土地の恵みを、みんなで分けて食べる」という点で、日本人がずっと続けてきた共食の形を、いちばん身近なところで受け継いでいます。

誰かと同じものを食べる。それだけのことに意味を見いだしてきたのが、日本の食のこころです。

次に神社のお祭りに出かけたら、お供えの中身をそっと見てみてください。そこには、その土地でとれたものが並んでいるはずですよ。