「とし(年)」はもともと「稲の実り」だった — 古語辞典をくらべて見えること

おいせ編集部

「今年」「来年」「年が明ける」。私たちは毎日のように「年」という言葉を使っています。けれど、この「とし」という言葉がもともと何を表していたのかを考えることは、あまりありません。古語辞典を何冊か引きくらべてみると、意外な姿が見えてきます。

「とし」は稲の実りのこと

ある古語辞典は、「とし」の語源を「稲などのみのり」と説明しています。稲が一回実るのに一年かかることから、のちに時間の単位としての「年」を表すようになった、という流れです。さらに、漢字の「年」も、もとは穀物が熟すことを表す字だと書き添えています。

つまり「とし」は、はじめから時間の単位だったわけではありません。一年に一度の実りそのものを指す言葉が、その実りまでにかかる長さを表すようになったのです。

辞典によって並べ方がちがう

おもしろいのは、辞典によって意味の並べ方がちがうことです。語源を大切にする辞典は「稲、または稲のみのり」を一番目に置きます。一方で、いまの使われ方を大切にする辞典は「一年」「時の単位」を先に置き、「穀物」の意味はうしろの方に回しています。

どちらが正しいということではなく、言葉を「どこから来たか」で見るか、「いまどう使われているか」で見るかのちがいです。両方を見くらべると、一つの言葉の奥行きが立体的に見えてきます。

万葉集の「年は栄えむ」

「とし」が稲の実りを表していたことは、古い歌からも分かります。万葉集には、次のような歌があります。

わが欲りし雨は降り来ぬかくしあらば言挙げせずとも年は栄えむ

待ち望んでいた雨が降ってきた。これなら、ことさら言葉に出して祈らなくても、稲の実りは豊かになるだろう――という歌です。ここでの「年」は、時間ではなく実りのことです。この歌は、「とし」を穀物の意味で説明する辞典の用例として引かれています。

同じ文章でも分類が変わる

『宇津保物語』の「年いと遅き年にて」という一節は、ある辞典では「季節・時節の進み方」の例として、別の辞典では「新春・新年」の例として引かれています。同じ文章でも、どう読むかで分け方が変わるのです。

『古今和歌集』の巻頭の歌「年の内に春は来にけり」を最初の用例に置く辞典もあります。暦の上の年が明ける前に立春が来てしまった、という歌で、「年」がもう時間の区切りとして使われていることが分かります。

祈年祭と新嘗祭 —「とし」を祈り、「とし」に感謝する

この「とし=稲の実り」を知ると、神社のお祭りの名前がぐっと身近になります。

2月に行われる「祈年祭」は「としごいのまつり」とも読みます。「とし」は穀物の実りのことで、その年の稲が豊かに実るよう神々に祈るお祭りです。そして秋、実った新しい穀物を神々にお供えして感謝するのが11月の「新嘗祭」です。

春に「とし」を乞い、秋に「とし」の恵みに感謝する。一年という時間そのものが、稲の実りのめぐりとして感じられていたことが、言葉からも伝わってきます。

年が寄る、年高し

辞典には「年が寄る」「年高し」のような言い回しも載っています。年齢を重ねることも、実りのめぐりを何度も迎えてきたこととして言い表してきたのかもしれません。

次に「今年もよろしくお願いします」と言うとき、その「年」がもとは一年に一度の実りだったことを、少し思い出してみてください。

参考:古語辞典3冊の「とし【年】」の項の比較、コトバンク「祈年祭」(https://kotobank.jp/word/祈年祭)。

同じ「歴史」の記事