筥崎宮

はこざきぐう(福岡県・福岡市東区/八幡系)

日本三大八幡のひとつ。楼門に掲げられた「敵国降伏」の額で知られる。

御祭神

  • 応神天皇(おうじんてんのう)— 第15代天皇。『日本書紀』での名は誉田天皇。大陸から渡ってきた人々の技術を用いて国を発展させたと伝わる。中世からは武運をつかさどる八幡神と同じ神とされ、武士たちの厚い信仰を集めた。全国の八幡宮の主祭神。
  • 神功皇后(じんぐうこうごう)— 第14代 仲哀天皇の后で、応神天皇の母。『日本書紀』での名は気長足姫尊。夫の仲哀天皇が亡くなったあと、子の応神天皇が位につくまで、日本で初めての摂政として長く政をとったと伝わる。子の応神天皇、夫の仲哀天皇とともに、八幡さまの社にならんでまつられることが多い。
  • 玉依姫命(たまよりひめのみこと)— 「タマ」は神の霊、「ヨリ」は憑りつくことで、あわせて「神の霊が宿る女性」を意味する。特定の一柱の名というより、神をその身に迎える巫女をこう呼んだものが神格化されたとみられている。そのため各地の神話に同じ名の女神が現れる。

出典:ja.wikipedia

由緒

創建には複数の説があるが、社が伝えるところでは延喜21年(921)6月21日に八幡神のお告げがあり、応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祭神として、筑前国穂波郡の大分宮を玄界灘に面したこの地へ移したことに始まる。延長元年(923)に現在地へ遷座した。元寇のとき亀山上皇がここで敵国降伏を祈願し、以来、海上交通と海からの守りの神として信仰されている。

  • 創建:延喜21年(921年)

出典:参考:ja.wikipedia「筥崎宮」

見どころ

楼門に掲げられた「敵國降伏」の扁額は、亀山上皇が奉納した醍醐天皇の宸筆を、安土桃山時代に模写したものと伝わる。この楼門は文禄3年(1594)に小早川隆景が建てたもので、扉の桐紋の彫刻は左甚五郎の作といわれる。本殿・拝殿は天文15年(1546)に大内義隆が再建したもので、楼門とともに国の重要文化財。

  • 建築様式:流造
  • ご利益:勝負運・厄除け
  • 系統:八幡系
  • 特徴:重要文化財・御朱印・海の近く

出典:参考:ja.wikipedia「筥崎宮」

お祭りと年中行事

  • 放生会(9月12〜18日) 生き物を放して命に感謝する祭り。参道に多くの露店がならぶ。
  • 玉せせり(玉取祭)(1月3日) 締め込み姿の男たちが木の宝珠を奪い合いながら本殿へ納める。

出典:参考:ja.wikipedia「筥崎宮」

参拝の案内

  • 所在地:福岡県福岡市東区

行き方

地下鉄「箱崎宮前」駅 徒歩3分

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